道興准后『廻國雜記』より、武蔵國

作者

 道興准后(じゅごう) 

作品

『廻国雜記』

成立年代

 文明19年 (1487) 

解説

 道興准后は、関白近衛房嗣の三男、聖護院門跡・新熊野検校、准三后となった人。文明18(1486)から翌年3月まで北陸・関東・奥州の諸国を遊歴し、紀行文『廻国雜記』を著した。
 ここでは『群書類従』所収本に拠り、武蔵国の部分を抄出する。



 
文明18年8月、上野国から武蔵国の北部に入る。

この坊〔上野国杉本坊〕を立て宮の市。せしも(瀬下)の原〔群馬県富岡市富岡か〕。しほ(塩)〔多野郡吉井町〕。しろいし〔藤岡市白石〕。いたづら野。あひ川。かみ長川などさまざまの名所を行々て。おしまの原〔新田郡尾島町か〕といへる所にやすみてよめる。
  けふ爰におしまか原をきてとへはわか松しまは程そ遙けき

むさし野にて殘月をながめて。
  山遠し有明のこるひろ野かな
おなじ野をわけくれてよめる。
  草の原分もつくさぬむさしののけふの限はゆふへなりけり
この夜はこの野にかりねして。色々の草花を枕にかたしきて。すこしまどろみ。夢のさめければ。
  花散し草の枕の露のまに夢路うつろふむさしのの原
  武藏のの草にかりねの秋の夜は結ふ夢ちもはてやなからん
此野の末にあやしの賤の屋にとまりて雨をききて。
  旅まくら都にとをきあつまやを幾夜か秋の雨になれけん
岡部の原〔埼玉県大里郡岡部町〕といへる所はかの六彌太〔猪俣党岡部六彌太忠澄, -1197〕といひしものゝふの舊跡なり。近代關東の合戰に數萬の軍兵うち死の在所にて。人馬の骨をもて塚につきて。今に古墳あまた侍りし。しばらくゑかうしてくちにまかせける。
  なきをとふをかへの原の古つかに秋のしるしの松風そふく
むら君〔羽生市上村君・した村君〕といへる所をすぐるとて。
  たか世にか浮れそめけん朽はてぬ其名もつらきむら君の里
淺間川をわたるとてよめる。
  名にしおふ山こそあらめ淺間川行せの水もけふりたてつゝ


〔こののち古河を経て下総国に入り、上総・安房・下野・常陸をめぐり、10月、下総より武蔵国岩槻に入る。〕
岩つき〔埼玉県岩槻市〕といへる所を過るに富士のねには雪いとふかく外山には殘紅葉色々にみえければ。よみて同行の中へ遣しける。
  ふしのねの雪に心をそめてみよ外山の紅葉色深くとも

淺草〔東京都台東区浅草〕といへる所にとまりて庭に殘れる草花を見て。
  冬の色はまた淺草のうら枯に秋の露をものこす庭かな
此里のほとりに石枕といへるふしぎなる石あり。そのゆへを尋ねければ。中比のことにや有けん。なまさぶらひ侍り。むすめを一人もち侍りき。容色大かたの常也けり。かのちゝ母むすめを遊女にしたて。みちゆき人に出むかひ。かの石のほとりにいざなひて。交會のふぜいをこととし侍りけり。かねてよりあひ圖のことなれば。おりをはからひて。かの父母枕のほとりに立よりて。友ねしたりける男のかうべ(頭)をうちくだきて。衣裝以下の物を取て一生ををくり侍りき。さるほどにかのむすめつやつや思ひけるやう。あなあさましや。いくばくもなきよの中にかゝるふしぎのわざをして。父母もろとろに惡趣に墮して。永劫沈淪せんことの悲しさ。先非におきては悔ても益なし。これより後の事樣々工夫して。所詮われ父母を出しぬきて見むと思ひ。ある時道ゆく人ありと告て。男のごとくに出たちてかの石にふしけり。いつものごとくに心得てかしらをうちくだきけり。いそぎもの(物)どもと(取)らんとてひきかづきたるきぬ(衣)をあげてみれば人ひとり也。あやしく思ひてよくよく見れば我むすめ也。心もくれまどひてあさ(淺)ましともい(云)ふばかりなし。それよりかのちゝはゝすみやかに發心して。度々の惡業をも慙愧懺悔して。今のむすめの菩提をもふかくとぶらひ侍りけると語傳へけるよし。古老の人申しければ。
  罪とかのつくるよもなき石枕さこそはおもき思ひなるらめ
當所の寺號淺草寺といへる。十一面觀音にて侍り。たぐひなき靈佛にてましましけるとなん。參詣のみちすがら名所ども多かりける中に。まつち山〔浅草の墨田川西岸〕といふ所にて。
  いかてわれ頼めもをかぬ東路の待乳の山にけふはきぬらん
あさちが原〔台東区橋場1丁目・2丁目附近〕といへる所にて。
  人めさへかれてさひしき夕まくれ淺茅か原の霜を分つゝ
おもひ川〔荒川区南千住3丁目の東南にあった入堀〕にいたりてよめる。
  うき旅の道になかるゝ思ひ川涙の袖や水のみなかみ
かくて隅田川のほとりにいたりて。みなみな歌よみて披講などして。いにしへの塚のすがた。哀れさ今のごとくにほぼえて。
  古塚のかけ行水のすみた川聞わたりてもぬるゝ袖かな
同行の中にさゞえを携へける人ありて。盃酌の興をもよほし侍りき。猶ゆきゆきて川上にいたり侍りて。都鳥たづね見むとて人々さそひけるほどに。まかりてよめる。
  こととはむ鳥たに見えよすみた川都戀しと思ふゆふべに
  思ふ人なき身なれとも隅田川名もむつましき都鳥哉
やうやう歸るさになり侍れば。夕の月所がらおもしろくて。舟をさしとめて。
  秋の水すみた川原にさすらひて舟こそりても月をみる哉

次の日淺草を立て。新羽(にっぱ)〔横浜市港北区新羽町〕といへる所におもむき侍るとて。道すがら名所どもたづねける中に。忍(しのぶ)の岡〔台東区上野公園周辺〕といへる所にて松原の有ける陰にやすみて。
  霜ののち現れにけり時雨をは忍ひの岡の松もかひなし
こゝを過ぎて小石川〔文京区小石川台地と白山台地の間を流れる川〕といへる所にまかりて。
  我方を思ひふかめて小石河いつをせにとかこひわたるらん
とりごえの里〔台東区鳥越神社附近〕といへる所に行くれて。
  暮にけり宿りいつくといそく日になれもねに行鳥越の里

芝の浦〔港区の東京湾岸か〕といへる所にいたりければ。しほやのけぶりうちなびきてものさびしきに。しほきはこぶ舟どもを見て。
  やかぬよりもしほの煙名にそたつ舟にこりつむしはの浦人
此浦を過てあら井〔大田区大森駅附近〕といへる所にて。
  蘆ましりおふるあらゐのうちなひき波にむせへる岸の松風
まりこの里〔大田区下丸子〕にてよめる。
  東路のまりこの里に行かゝりあしもやすめすいそく暮かな
駒林〔神奈川県横浜市港北区日吉本町〕といへる所にいたりて宿をかり侍るに。あさましげなる賤のふせやに落葉所をせき侍るを。ちとはきはきなどし侍りける間。たゝずみて思ひつゞけける。
  つなかれぬ月日しられて冬きぬと又はをかふる駒はやし哉

新羽を立てかまくらにいたる道すがら。さまざまの名所どもくはしくしるすにおよび侍らず。・・・



〔この後、箱根から富士・大山を経めぐって、相模から再び武蔵に入る。〕
熊野堂といへる所へ行けるに小野〔東京都町田市小野路町・多摩市小野路町〕といへる里侍り。小町が出生の地にて侍るとなん。里人の語り侍れば。うたがはしけれど。
  色みえて移ろふときくいにしへの言葉の露か小野の淺ちふ
半澤といへる所にやどりて。發句。
  水なかは澤へをわくやうす冰
名に聞きし霞の關〔多摩市関戸〕を越て。これかれ歌よみ連歌など言捨けるに。
  吾妻路の霞の關にとしこえは我も都に立そかへらん
  都にといそく我をはよもとめし霞の關も春を待らむ
此關をこえ過て。戀が窪〔国分寺市西恋ヶ窪1丁目〕といへる所にて。
  朽はてぬ名のみ殘れる戀かくほ今はたとふも契ならすや

ある人のもとにまかりてあそび侍りけるに。題を探て三十首歌よみ侍りけるに。深夜寒月。
  春秋にあかしなれぬる心さし深き霜夜の月そしるらん
松雪夕深
  嵐さへうつもれはてゝふる雪に松のしるへもなき夕かな
思不言戀
  さすか又かくとはえこそ岩こすけ下に亂てわふとしらなん

むねをか〔埼玉県志木市宗岡〕といへる所をとをり侍りけるに。夕の煙を見て。
  夕けふりあらそふ暮を見せてけりわか家々のむね岡の宿
ほりかねの井〔狭山市〕見にまかりてよめる。今は高井戸といふ。
  俤そかたるに殘るむさしのやほりかねの井に水はなけれと
  昔たれ心つくしの名をとめて水なき野へをほりかねのゐそ
やせの里〔入間郡にあった里。現狭山市・入間市・川越市辺〕はやがて此つゞきにて侍り。
  里人のやせといふ名や掘りかねの井に水なきをわひて住らん
これよりいるま川にまかりてよめる。
  立よりてかけをうつさは入間川わか年波もさかさまにゆけ
此河につきてさまざまの説有。水逆にながれ侍るといふ一義も侍り。又里人の家の門のうちにて侍るとなん。水の流るゝ方角案内なきことなれば。何方をかみ下とさだめがたし。家家の口は誠におもてには侍ず。惣じて申かよはす言葉などねかへさまなることども也。異形なる風情にて侍り。佐西(ささい)〔埼玉県狭山市笹井〕の觀音寺といへる山伏の坊にいたりて四五日遊覽し侍る間に。瓦礫ども詠じ侍る中に。 〔七絶一首略〕
くろす川といへる川〔入間市黒須辺の入間川〕に人の鵜つかひ侍るを見て。
  岩かねにうつろふ水のくろす川うのゐる影や名に流けん
故郷のひとなど思ひ出侍りて。曉まで月にむかひて。 〔七絶一首略〕

さゝいをたちて武州大塚の十玉〔川越市にあった本山派修験の十玉坊〕が所へまかりけるに。江山いくたびかうつりかはり侍りけん。其夜のとまりにて。  〔七絶一首略〕
あるとき大石信濃守といへる武士の館にゆかり侍りてまかりてあそび侍るに。庭前に高閣あり。矢倉などを相かねて侍りけるにや遠景すぐれて。數千里の江山眼の前に盡ぬとおもほゆ。あるじ盃を取出して。暮過るまで遊覽しけるに。  〔七絶一首略〕
十玉が坊にて人々に二十首歌よませ侍るに。閑庭雪
  跡いとふ庭とて人のつれなくはとはぬ心の道もうらみし
霰妨夢
  ふしわふる笹のしのやの玉霰たまさかにたにみる夢もなし
年内待梅
  春をまつ心よりさく初花をいつか冬木の梅にうつさん
別後切戀
  消にけるたまの行ゑとけさはみよ別し君か道芝のつゆ

河越〔川越市〕といへる所にいたり。最勝院といふ山伏の所に一两夜やどりて。
  かきりあれはけふ分つくす武藏のの境もしるき河越の里
この所に常樂寺といへる時宗の道場侍る。日中の勤聽聞のためにまかりける道に。大井川といへる所にて。
  打渡す大井河原の水上に山やあらしの名をやとすらん
此さとに月よしといへる武士の侍り。いさゝか連歌などたしなみけるとなん。雪の發を所望し侍りければ。言つかはしける。
  庭の雪月よしとみる光かな
これにて百句興行し侍りけるとなむ。これより武士の館へまかりける道に。うとふ坂〔川越市岸町〕といへる所にてよめる。
  うとふ坂こえて苦しき行末をやすかたとなく鳥の音もかな
すぐろ〔入西郡にあった郷〕といへる所にいたりて名に聞し薄など尋てよめる。
  旅ならぬ袖もやつれて武藏野やすくろの薄(すすき)霜に朽にき

又野寺〔新座市野寺〕といへる所爰にも侍り。これも鐘の名所也といふ。このかねいにしへ國の亂れによりて土のそこにうづみけるとなん。そのまゝほり出さゞりければ。
  音にきく野寺をとへは跡ふりてこたふる鐘もなき夕哉
此あたりに野火とめのつかといふ塚〔新座市平林寺境内〕あり。けふはなやきそと詠ぜしによりて。烽火たちまちにやけとまりけむとなむ。それより此塚をのびどめと名づけ侍るよし。國の人申侍ければ。
  わか草の妻もこもらぬ冬されに軈てもかるゝのひとめの塚
これを過てひざおり〔朝霞市膝折〕といへる里に市侍り。しばらくかりやに休て。例の俳諧を詠じて同行にかたり侍る。
  商人はいかて立らん膝折の市に脚気をうるにそ有ける
・・・

ところ澤〔所沢市〕といへる所へ遊覽にまかりけるに。福泉といふ山伏。觀音寺にてさゝえ(竹筒)をとり出しけるに。薯蕷といへる物さかなに有けるを見て。俳諧。
  野遊のさかなに山のいもそへてほりもとめたる野老澤(ところさわ)かな
この所を過てくめくめ川〔東村山市久米川〕といふ所侍り。里の家々には井なども侍らで。たゞこの河をくみて朝夕もちひ侍となん申ければ。
  里人のくめくめ川とゆふくれに成なは水はこほりもそする
・・・

武州大つかといへる所に住侍りける時。近衞前關白殿下より初て御書到來し侍り。これをひらきて一度はよろこび。一たびは戀慕のうれへにしづみて。   〔七絶一首略〕
連日雪いたくふり侍りければ野遊の興さへかなひ侍らで。いとゞ都のことゞもおみひやりて。  〔七絶一首略〕
越年の式。右にいへるごとくためしなき有さまども也。さるからいとなむこと侍らぬのみ心やすき侍りけり。早梅をもてあそびて。春のいたれることをおぼえ侍るばかり也。  〔七絶一首略〕
・・・

〔文明19・1487〕正月朔日試筆の歌。
  あつまよりけふたつ春は都にて花さく比そ我をまちえん
今朝雪太降。祝豐年之嘉瑞。裁短篇一章矣。  〔七絶一首略〕
おなじき六日。雪いさゝか融し侍りければ。むさし野に出て。わかな(若菜)をもとめて。
  むさしのにけふつむわかな行末の限しられぬ世の例かも
此野よりかへるとて馬上にてある同行に申かけける。
  のる前に武藏鐙(むさしあぶみ)をかけのれはさすかに名ある野にもなつます
ある所にまかりて一兩日すみ侍けるに。山ふかき所なれば。鶯も花もいまだ春をしらざりければ。  〔七絶一首略〕
武藏野に出て酒など飮て遊びけるに。はじめて雲雀のあがるをみて。
  若草の一もとならぬむさしのにおつる雲雀も床まよふらん
あさましげなる田夫の屋に一兩日とまり侍りけるに。野孃草席などいひしすがたなりければ。感緒に堪ず口にまかせける。  〔七絶一首略〕
旅宿に梅の咲たりけるを一枝手をりてよめる。
  むめかかをやとすのみかは春風の都をうつす袖とこそなれ
餘寒ことのほかに侍りけるあした。鶯のなけるを聞て。
  花ゆへに谷の戸いてし鶯も梅も雪にや冬こもるらん

武州に山家の勝地侍り。まかりて十日ばかり逍遥し侍りけるに。ある夜筆にまかせ侍りし。  〔七絶一首略〕
次の夜雨散じて月いとおもしろきに。軒ちかく梅のかほりければ。和漢第三まで獨吟。
  まくらとふ梅に旅ねの床もなし
  月引古郷春
  山とをくかすむかたより雪消て
翌日雨にふりこめられて。野遊の興もかなひ侍らざりければ。つれづれとながめくらし。花鶯を友として口ずさみける。  〔七絶一首略〕
又の日雨はれて雪になりければ。霞たち消て餘寒はなはだしく侍りければ。
  淡雪のふりさけみれば天の原消て跡なき朝霞かな

十玉が方より紅梅の色こきをはじめて見せければ。
  こゝろさし深くそめつゝ眺むれは猶くれなゐの梅そ色そふ
・・・

野遊のついでに大石信濃守が舘へ招引し侍りて。鞠など興行にて。夜に入ければ。二十首の歌をすゝめけるに。
初春霞
  かさならぬ春の日數を見せてけりまた一重なる四方の霞は
歸雁幽
  霞つゝしはし姿はほのみえて聲より消る鴈の一つら
浦春月
  もしほやく浦はの煙つらき名を霞てかくせ春のよの月
夢中戀
  さめてこそ思ひのたねと成にけれかりそめふしの夢のうき橋
後朝戀
  かきやりし涙の床の朝ねかみ思ひのすちは我そまされる
大石信濃守父の三十三回忌とてさまざまの追修をいたしけるに。聞をよび侍りにければ。小經を花の枝につけてをくり侍とて。
  散にしはみそちみとせの花の春けふこのもとにとふを待覽

むさしのの末に濱さき〔朝霞市浜崎〕といへる里侍り。かしこにまかりて。
  武藏野を分つゝゆけは濱さきの里とはきけと立波もなし

此ほどながなが住なれ侍りける旅宿をたちて甲州〔山梨県〕へおもむき侍りけるに。坊主のことのほかになごりをおしみ侍りければ。しばらく馬をひかへてよみつかはしける。
  旅立てすゝむる駒のあしなみもなれぬる宿にひく心かな
かくて甲州に至りぬ。・・・  





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